「日本は安全な国」
そう言われることに、
私たちはいつの間にか慣れてしまった。
地震が来ても大丈夫。
大きな事故は起こらない。
電車は時間通りに走る。
高速道路は安全。
建物は壊れない。
原子力発電所も安全。
――本当に、そうだったのだろうか?
もしかすると私たちが信じていたのは、
「安全」という現実ではなく、
「安全だと思いたい」という物語だったのかもしれない。
今回は、少し怖い話をしよう。
「安全神話」という言葉
「安全神話」という言葉は、特定の一つの事件だけを指すものではない。
日本では過去の災害や事故をきっかけに、
「絶対に安全だと思われていたものが、実際にはそうではなかった」
という意味で使われてきた。
たとえば1995年の阪神・淡路大震災では、高速道路や建築物など、それまで「安全」と考えられていた都市インフラが大きな被害を受けた。
その後、2005年のJR福知山線脱線事故でも、「安全性の高い日本の鉄道」というイメージが大きく揺らいだと指摘されている。
そして2011年。
日本の「安全神話」を象徴する出来事が起きる。
東日本大震災。
そして、
福島第一原子力発電所事故。
原子力委員会も後に「安全神話から決別し、福島第一原発事故の反省と教訓を学ぶ」というテーマを掲げている。
「事故は起きない」という前提
ここが怖い。
危険なものを、
「危険だけど、対策している」
と考えるのと、
「そもそも事故は起こらない」
と考えるのでは、
危機管理の考え方がまったく違う。
事故が起こる可能性を認めていれば、
「もし起きたら?」
という準備をする。
しかし、
「起きない」
という前提に立ってしまうと、
「起きた場合の準備」
そのものが軽視される可能性がある。
これは原子力だけの話ではない。
交通。
災害。
食品。
医療。
インフラ。
サイバー攻撃。
そして、私たちの日常生活まで。
安全神話は「嘘」なのか?
ここで一つ重要なことがある。
安全神話という言葉を、
「誰かが意図的に国民を騙していた」
と単純化することはできない。
実際には、
・過去の成功体験
・事故の少なさ
・技術への信頼
・組織のルール
・専門家への信頼
・社会全体の思い込み
こうしたものが積み重なって、
「きっと大丈夫」
という感覚が形成されていく。
そして怖いのは、
誰か一人が嘘をつかなくても、
社会全体で「安全」という物語が完成してしまうことだ。
人間の脳は「正常」を信じたがる
これは心理学的にも興味深い。
人間は、危険を常に意識して生きることが難しい。
毎日、
「今日、事故に遭うかもしれない」
「建物が崩れるかもしれない」
「巨大地震が来るかもしれない」
「システム障害が起こるかもしれない」
などと考えていたら、普通の生活ができない。
だから脳は、
「昨日まで大丈夫だった」
という経験を、
「今日も大丈夫だろう」
という判断材料にする。
これが積み重なる。
10年事故がなかった。
20年大丈夫だった。
30年何も起きなかった。
すると、
「危険は存在しない」
という錯覚に近づいていく。
しかし、
「今まで起きなかった」ことと、
「これからも起きない」ことは同じではない。
そして「想定外」という言葉が生まれる
大きな事故が起きると、
必ずと言っていいほど出てくる言葉がある。
「想定外」
もちろん、本当に予測が難しい事象は存在する。
しかし問題は、
「想定外だった」
という言葉で終わってしまうこと。
なぜなら、
想定外だったのなら、
次は何を想定するのか?
という問いが残るからだ。
都市伝説として見ると、もっと怖い
ここからは都市伝説として考えてみよう。
もし、
「安全神話」というものが自然に生まれるのではなく、社会システムの中で少しずつ作られていくもの
だとしたら?
最初は、
「大丈夫です」
だった。
次に、
「これまで事故はありません」
になる。
その次には、
「世界最高水準の安全対策です」
になる。
そして最後には、
「事故が起きることを考える必要はありません」
になる。
こうして、
「安全」
そのものが目的になってしまう。
本当に怖いのは「危険」ではない
実は、
危険そのものより怖いものがある。
それは、
危険が存在することを誰も疑わなくなった状態。
危険な場所なら、人は注意する。
危険な機械なら、警告を読む。
危険な道路なら、速度を落とす。
危険なシステムなら、バックアップを用意する。
しかし、
「安全です」
と言われ続けたものには、
人は警戒しなくなる。
安全神話が崩れる瞬間
安全神話は、
少しずつ崩れるわけではない。
多くの場合、
一つの大きな出来事によって、一気に崩れる。
そして、その瞬間に初めて、
「あれ?」
と気付く。
「本当に安全だったのか?」
「誰が安全だと言っていたのか?」
「どんな条件なら安全だったのか?」
「想定していなかったことは何だったのか?」
「事故が起きたとき、誰が責任を取るのか?」
それまで見えなかったものが、
一気に見えてくる。
そして、次の「安全神話」が生まれる
ここが一番怖い。
一つの安全神話が崩壊すると、
人間はそこから学ぶ。
新しい基準を作る。
新しい設備を作る。
新しいルールを作る。
そして、
しばらくすると、
また安心する。
「これでもう大丈夫」
と。
そして時間が経つ。
事故を知らない世代が増える。
当時の恐怖を知らない人が増える。
成功体験が積み重なる。
すると、
また新しい安全神話が生まれる。
「安全」は存在するのか?
もしかすると、
「安全」というものは、
最初から存在する状態ではないのかもしれない。
安全とは、
危険を知り、
事故を想定し、
失敗から学び、
それでも改善し続ける状態。
そう考えるなら、
「絶対安全」
という言葉そのものが、
一番危険なのかもしれない。
最後に一つだけ
あなたが今、
「ここは安全だ」
と思っている場所は、
なぜ安全なのだろう?
誰かがそう言ったから?
今まで事故がなかったから?
法律で決められているから?
専門家が大丈夫と言っているから?
それとも、
自分自身で安全だと確認したから?
この違いを考えるだけで、
日常の見え方は少し変わる。
【都市伝説】
もしかすると、
本当に恐ろしいのは、
「安全神話が崩れること」ではない。
安全神話が崩れたことに気づかないまま、
次の安全神話を信じ始めていることなのかもしれない。
そして今日も、
街は普通に動いている。
電車が走る。
車が走る。
ビルが立っている。
スマートフォンが通信する。
電気が流れる。
誰も、
「もし全部が止まったら?」
なんて考えない。
なぜなら――
「大丈夫だ」と思っているから。
それが、
「安全」という物語の始まりなのかもしれない。
KEN97 GARAGE|都市伝説
あなたが「絶対に安全」だと思っているものはありますか?
もしあるなら、
一度だけ考えてみてほしい。
「なぜ、それを安全だと思っているのか?」
その答えの中に、
次の都市伝説が隠れているかもしれない。



